襟 裳 岬 えりもみさき Erimo Misaki

2014031918:30

 


景色介紹
襟 裳 岬 えりもみさき Erimo Misaki

襟裳為地名,襟裳岬即在北海道日高山脈與太平洋交接處的海角





襟裳岬(森進一原曲)





襟裳岬景色介紹(島倉 千代子不同曲版本)






有如恐龍背骨般地伸入太平洋的襟裳岬,
是北海道特殊的地理景觀之一。




知床半岛-襟裳岬(えりもみさき)



襟裳岬 岩礁群



襟裳岬歌碑(森進一 & 島倉 千代子)



襟裳岬 風之故鄉

【北海道】襟裳岬,風的故鄉?﹗

〝襟裳岬"是一首早年曾被歌星鄧麗君翻唱的日本演歌。
襟裳就是北海道的一個角地方。
這首歌的旋律優美,而日文原唱歌詞更是打動人心,
給予在寒冷的地方的人們帶來陣陣溫暖的歌。
(意在困難時亦要裝作若無其事地堅強)

歌手森進一在1974日本紅白對抗中首唱而獲得大賞。
接著這首歌很快地便在日本與臺灣流行起來。

歌詞中有這麼一句:
襟裳の春は何にもない春です
(襟裳的春天是什麼也沒有的春天)。
這一句歌詞讓當地人深不以為然。


因為北海道比起日本其他三大島來說,
給人的印象的確是寒冷、寂寞。

尤其是
襟裳岬附近氣候,
一年中有290天是吹五級風,

可是早在明治維新時期就開始墾殖了,
受到歐陸文化的影響甚為深遠。


北海道的田園原野很廣闊,
風土人情也與日本本州有所差別。

其風景無論是春夏秋冬,都有其獨特的美。





襟裳岬  森進一


詞:岡本おさみ曲:吉田拓郎

きた まち     かな   だんろ
北の街ではもう悲しみを暖炉で
 も
燃やしはじめてるらしい
わけ             なや
理由のわからないことで悩んでいるうち

老いぼれてしまうから
だま      としつき     あつ  あたた
黙りとおした歳月をひろい集めて暖めあおう
えりも はる  なに   はる
襟裳の春は何もない春です

きみ にはい

君は二杯めだよねコーヒーカップに
かくざとう
角砂糖をひとつだったね
す   き
捨てて来てしまったわずらわしさだけを

くるくるかきまわして
とお     なつ にお おも だ   なつ
通りすぎた夏の匂い想い出して懐かしいね
えりも はる なに   はる
襟裳の春は何もない春です

ひび くら

日々の暮らしはいやでもやってくるけど
しず  わら
静かに笑ってしまおう
             い
いじけることだけが生きることだと
か  な
飼い馴らしすぎたので
みがま      はな
身構えながら話すなんてああおくびょうなんだよね
えりも はる なに    はる
襟裳の春は何もない春です

さむ とも    たず

寒い友だちが訪ねてきたよ
えんりょ        あたた
遠慮はいらないから暖まってゆきなよ



==中文大意==
 
 在北方城鎮
人們似乎已經把哀愁丟進暖爐燃燒了


正在為了一些莫名之事而煩惱時
不知不覺之中年華已逝去

所以把默默流走的歲月
再次拾起並聚集起來取暖吧


襟裳的春天是一無所有的春天

你已經是喝第二杯咖啡了
杯裏卻只放了一塊方糖 


將扔掉的往昔瑣碎雜事
加入咖啡杯中 不停地攪拌著


過去了的夏天的氣息
回想起來 真令人懷念啊


襟裳的春天是一無所有的春天


每天的生活即使厭倦
日子還是要過  


靜靜地笑出來吧
在畏首畏尾的生活中 討生存

因為已養成這種習慣與方式  
所以才裝模作樣般地說話

啊~這更顯露出懦弱膽小的一面吧


襟裳的春天是一無所有的春天

耐不住寒冷的朋友 來訪了 
不要客氣請靠過來取暖吧




日本熟女最愛的歌星森進一





永遠的Teresa(鄧麗君)